5月(前半)

 暖かくなり心身共に元気になったからか、最近すごく攻撃的になってしまっている気がする。このアグレッションは冬の落ち込んだ時に自分に返ってくるからやめないと……と思っている。

 

•音楽

 私は選曲センスがない。最近聴いている曲の中から任意の3曲を取り出した時、どの組み合わせもセンスがない。

 私がYouTubeのヒットチャートみたいなところからしか音楽を聞かないからかもしれない。というか、そもそも音楽をそんなに聞かないし、流行りの曲を利用した別のコンテンツを楽しむために音楽を聞いているところもある。(例えば大喜利のお題として『こんなYOASOBIは嫌だ』があった時、YOASOBIの曲を多く知っておいた方がいい)

 でも、マイナーなロックとか洋楽とか聞いてる人がいたらカッコいいな〜と思うし、マイナーでなくともこの曲聞いてる人センス良さそうっていう感覚は分かる。私の聞いている音楽がセンスないっていうのもわかる。私の聞いてる音楽が、というよりはこの音楽を聞いている人の大多数はセンスがなくて、私もその一人であるというだけだけど。

 

•仕事

 昔、仕事について考える授業があった。仕事に求める条件を5つ(時間の自由さ、賃金、その仕事を好きになれる……あと何があっただろう。もう覚えていない)に優先度をつけていく、グループワーク形式の授業だった。私の記憶では、私は頑なに賃金と自由さを大切にすべきだと主張していた。何故なら、仕事は全て辛いものだから。楽な仕事なんて存在しないし、好きになれる仕事など存在しないので、仕事が好きかどうかは関係ないと私は主張した。

 今考えれば、私は未来をあまりにも諦めすぎていたと思う。社会には絶望しかないと思っていた。

 そして、お金が全てだと思っていた。これは当時の塾の先生に影響されてのことだ。当時、塾の先生はよく「感情を捨てて利を取れ」という趣旨の発言をしていた。例えば、行きたい高校があるが親に反対されている人がいたとする。すると先生は「土下座でも何でもすれば君の親は絶対許してくれる」と言うのだ。分かっていてほしいのは、当然、面談等でその生徒の親の人となりが分かっているからそういうことを言っているのであって、決して生徒を勝算のない精神論の勝負に向かわせようとしているのではない。死ぬこと以外はかすり傷、のような根拠のない精神論を掲げるような人ではないので、あしからず。生徒思いのすごくいい先生です。私は尊敬していたし、だからこそ先生の論理に影響された。

 先生はよく部活を惰性で続けている生徒に「部活で将来金が稼げるのか?」と問うていた。「好きなことで生きていけるのは一部の才能ある人間だけだが……君たちはそうなのか?」ということだ。「もし才能、もしくは情熱があるなら、どのようなルートでどうなりたいのか、将来像を具体的に述べてみろ」と先生はよく言っていた。正論すぎる。感情を捨てろ、とまではいかないが、現実を見ろ、くらいのことは言っている。中学生にこれは厳しい。今だって思い出すだけで心にグサグサ刺さる。刺さるのは正論だからだ。

 「感情を捨てて利を取れ」という論理の元考えれば、やはり仕事に「好き度」は必要ない。時間と金をとるべきだ。

 しかし、先生も当時の私も大切なことを見落としている。それは人間そんなに強くないということだ。人がそんなに理性的に動けるわけがない。中学生がそんな先のことまで考えられるわけがないし、現実を直視するのは大人にだって難しい。先生はすごく強い人間だから現実的に考えて論理的に動けているだけで、普通人は先生が想像するよりもずっと弱い。

 だから仕事を好きになれたらいいな、という夢みがちな論理も必要だ。本当は好きになれる仕事なんて無いかもしれないけど、仕事を好きになれたほうがいいし、それはお金よりも時間よりも大切かもしれない。私にとっては大切だと思った。私は夢みがちだから希望が必要なのだ。諦念ばかりではいけない。こんな普遍的なことに気づくのが少し遅かった。

 

•旅行

 今年の夏、家族旅行でUSJに行く計画を聞かされた。正直楽しみじゃない。

 きっと楽しいだろうが、私は暑い中外を歩き回るのが好きじゃないし、ジェットコースターなど乗り物に乗るのも好きじゃない。

 親にそう言うと、「じゃあ何が好きなの?」と聞かれた。しばらく考えて「会話」と言ったと思う。私は遊園地で1日を過ごすより、適当なチェーンのカフェで半日会話をする方が好きだ。(MBTI診断でこんな質問があった気がする)

 私は、会話でみんなを遊園地よりも楽しませられると思っているし、私自身は友達や家族との会話の方が楽しいと思う。

 会話は遊園地よりもコスパのいい娯楽だと思うが(当然誰かとの会話の価値はプライスレスだと思うけど)みんな、どうしてそんなに遊園地に行きたがるのか。私とお喋りするより遊園地の方が楽しいってわけ?そりゃあもちろん、私は高所から人を落としたり、ファンタジックな景観になったりすることはできないけど。

 会話と遊園地はベクトルの違う楽しさなんでしょう。それはきっとそう。行けば楽しいと思う。

 でも、人混みも嫌だし、猛暑の中で待ち時間に人を楽しませるような話を考える余裕あるかなぁ、とか考えると、別に遊園地は嫌いじゃないのに憂鬱になってきた。何で私は遊園地に行けるのに落ち込んでいるんだろう。