4月(前半)

 躁の季節。暖かくなって調子が良くなってきたので、前半と後半に分けることができる。

 

3DS

 3DSのインターネットサービスが終了すると聞いて、春休み中に実家から3DSを持って帰った。

 3DSにはカメラが搭載されており、映像も記録することができた。小学生の頃は、何かあるたびに3DSのガビガビ画質のカメラでビデオや写真をとっていたような気がする。私は過去の自分がどんなものを撮っていたのか気になって、カメラフォルダを見てみた。

 結論から言うと、ほとんどがゲームのスクリーンショットばかりで大したものは入っていなかった。どこかのタイミングで、これは黒歴史になると気づいて消してしまったのだろう。

 しかし、二つだけ私の黒歴史チェックリストから漏れた映像が入っていた。漏れた、というよりは、これは残しておいてもセーフだと思ったのかもしれない。(今見返すと、確かに私自身はほとんど映っていなかった)

 その二つの映像は、同じ日に撮ったものだった。

 小学四年生か五年生頃、当時の友人十数人でハロウィンパーティーをしていた。今考えるとクラスに十何人もパーティーをするような友達がいてすごい。

 一つ目の映像は、そのパーティーの様子を定点カメラで撮った懐かしいホームビデオだった。 それぞれみんな、百均で買ったであろうハロウィングッズを身につけて、お菓子を食べたりゲームをしたりしていた。

 改めて見ると、あの頃、面白いな〜と思っていた人は、今見てもちゃんと面白かったし、おしゃれだな〜と思っていた人は、今見てもおしゃれだった。そういう人たちに小学生の私は憧れていて、今見てもあの頃の感性はそれほど間違っていなかったな、と思った。間違っていなかったというか、私が変わってなさすぎるだけかもしれない。

 それ以外は特に語るようなこともない映像だった。

 二つ目の映像は、そのパーティーが開催されていた友達の家の近くの川で、炭酸飲料を思いっきり振って開けるという映像だった。これは本当に面白かった。

 まず、炭酸飲料を振る係の女の子が徐にマフラーを取って、傍の友人に預ける。(ちなみにマフラーを受け取った子は、初音ミクとコラボしたパーカーを着ていて、時代を感じた)

 炭酸飲料振り係の子はその後、炭酸飲料を振りながら急に走り出して、私の隣にいた男の子に「おい!どこいくねん!」と言われていた。ストレートなツッコミすぎて、めちゃくちゃ笑った。

 しばらくすると、炭酸飲料振り係の女の子は戻ってきて、ついに炭酸飲料が開けられそうになる。すると、また私の隣に座っていた男の子が「この決定的瞬間をシャッターにっ」と言って、カメラを構えるポーズをし、聞こえるか聞こえないかくらいの声で「カシャッ」と言った。これが本当に面白かった。「決定的」が小学生特有の滑舌の悪さで「徹底的」に聞こえてたのも面白かった。「な、何て??」と思ってしまった。でも、本当に面白かった。小学生の小ボケでこんな笑ってしまうことあるんだ……。しかも、その小ボケ、誰にもツッコまれてなかった。それが余計に面白かった。君のボケは時を超えてめちゃくちゃウケたよ、ありがとう。

 その後、炭酸飲料は十余人の「3!2!1!」というカウントの元、開封され、泡が勢いよく溢れてきた。それに対して、小学生たちは驚いたように口々に感嘆の声を上げていたが、私だけ「めっちゃ地味やな」と一笑に伏していた。何て嫌な子供なんだ……。カメラを回していることから、全く楽しんでないわけないのに、何故か冷笑している。本当に嫌な子供すぎる。

 この映像の黒歴史的部分は、ここだけだ。それ以外、私は一言も話してない。つまり、カウントにも参加していない。本当に本当に嫌な子供だ。

 それにしても、炭酸飲料から泡が吹き出る瞬間を友達と見て楽しむってすごい遊びだなと思った。今同じことをしても楽しめるだろうか。

 

•冷笑

 最近読んだ本に『鬱病は神を信じない人がかかりやすい(意訳)』みたいなことが書いてあった。曰く、神を信じない者は、心の拠り所(依存先)が無いから、最終的に何にも縋ることが出来ないと。つまり、最後には神が助けてくれる、というある意味では楽観的な考えを持てないのだ。

 そう考えると、冷笑系はかなり精神的に困ることが多い。

 まず、冷笑系の人間は何も信じることができない。最近、宗教の勧誘を面白おかしく追い払う動画が流行っているように、冷笑系の人間は「神なんていう存在しないものを信じるなんて馬鹿じゃないですか笑」となりがちだ。馬鹿にならないように、冷笑系は神を信じない。

 では、人間はどうだろうか。例えば、「誰かが親友の借金の連帯保証人になり、しかし夜逃げされた」などの話があるとする。すると冷笑系は「親しい人であってもそこまで信用しちゃダメでしょ笑」となり、人間に深入りしない自分を良しとしてしまう。誰に対しても、自分の身を切って相手を助けるなんて馬鹿馬鹿しいと思ってしまうのだ。

 また、人間不信の冷笑系は、誰に対しても自分を開示しないクールな自分を演出しようとする。友達すらも内心は信用しておらず、秘密を話せば絶対漏らされるし、何かあったら縁を切ってやろうと思っている。

 それでは、今度は、信じられるのは自分しかいないという話になるが、この考えに対しても冷笑系は「いや、物事は多角的に見ないと!自分の尺度でしか物事を測れないと、自己中な人間になっちゃうでしょ笑」と考えて、自分すらも信じられなくなってしまう。冷笑系の人間は無駄に謙虚だ。

 そうなると、冷笑のよすがはどこにもないことになる。そして、冷笑系が本当に困ってしまった時に過去の自分が作り上げた論理に苦しめられるのだ。神も人も自分も信じれず、信じてしまうと、かつて自分が馬鹿にしていた『視野の狭い人』になってしまう。どっちにも進むことができず、停滞に陥る。

 今、世の中は冷笑の時代に入っている気がする。熱さを前時代的だとバカにして、誰もが効率的に生きようとしている。クールキャラがもてはやされる時代なのだ。「真面目な人間は割を食う」とか言って、みんな上手に生きようとしている。

 私もその一人だし、今こうやって冷笑系を冷笑しているような文章を書いていることがそのことの何よりの証明だが、それでも私は誰しも冷笑のままではいけないと思う。

 互いの意味のない部分を分かり合おう。分かり合えなければ分かり合えないことを確認しよう。そうしなければ、私たちのコミュニケーションに、過去に、人生の全てに意味はない。

 

•3月のある日

 実家で母親が度々ドラマを見ていて、私も同じドラマを、別のことをしながら話半分程度に見ていた。見ていたというか、情報が勝手に入ってきて、大体こういう話なのかな……?って分かるくらい。登場人物も設定もほとんど知らなかった。

 多分、恋愛ドラマだった。若くして起業した女性社長と、韓国人が恋愛するドラマ。「きりたっぷみさき」?という言葉が頻繁に出てきていて、多分そこは重要な場所だった気がする。内容はほとんど知らないけど、王道の恋愛ドラマなのかと思っていた。昔からの付き合いの男と、新しく出現した男がヒロインを取り合う的な。

 でもある日急に、「実は私、心が読めるんです」というセリフが耳に飛び込んできて、SFだったの⁉︎とびっくりしてしまった。恋愛ドラマが急にSFになると、本当にびっくりする。

誕生日

 もう二十歳手前なのに、履修登録のたびに泣きそうになっている。

 

•二十

 二十歳という年齢は、それより前と後で大きな差がある。一度人生を区切られる。キリストが生まれる。二十歳までの人生がこの先一生続いていくような気がする。本当は誕生日など迎えたくない。誕生日に絶望し始めている。

 

•抱負

 何かを成す、もしくは何も成していない自分を認められるようになる。とりあえず、自分自身の許容範囲を広げないといけない。二十歳になった時に絶望しないような心構えを今のうちに作っておかなければならない。これは抱負ではなく、そうしないととんでもないことになる、いわば義務。

 それはそれとして、実際のところの抱負は「健やかに育つ」ということにしておく。

 

•親戚

 母親の従兄弟に「何歳になったの?」と質問されたため、小学生のように「19歳!」と元気よく答えると、「私の精神年齢と同じくらいかも」と言われた。

 彼女は確か母親の数個下だったはずで、私から見れば圧倒的に大人だ。結婚していて、子供もいて、私にお年玉だってくれる。

 それでも彼女自身の体感としては、「精神年齢19歳くらい」なのだそう。

 16歳が人生の折り返し地点で、歳をとるほど相対的に時間は短く感じるという話は有名だが、40になってもまだ体感19歳ということは……賢い人が計算すれば、体感と実際がどのくらいズレているのか分かるかもしれない。

注釈:彼女の年齢を正確に覚えていない(それどころか母親の年齢も覚えていない)ため、実際彼女は40より下なのかもしれない。そうなのだとしたら申し訳ない。

3月

 今年になってもう三ヶ月経った。人生で一番早い一年な気がする。こういうことはすごく頑張った人が思うのだろうけど、私の場合がんばらなさすぎて、ぼんやりしている間に過ぎていったという感じだ。

 

•他人の褒め

 誰かの容姿が褒められていると、何故か嬉しくなってしまう。別に私が褒められているわけじゃないのに。

 

•過去

 昔の担任の先生が学校を変わるというのことで、会いに行こうか迷う時間があった。迷っているとしばらくして、もう会うことは不可能であるという旨の連絡が来た。ホッとした。

 

•妹

 妹が家に遊びに来た。ほとんど人が来ない家なので新鮮だった。人がいるというだけで、片付けたり自炊したりするモチベーションが高まる。部屋の片付け方もアリかもしれない。

二月(後半)

 二回行動、成功。

 

•いいね

 Twitterでいいねする時、本当にいいねと思っている時と、コンピュータに「このアカウントではこういうのが見たいんだぞ」と教えるために、いいねしている時がある。

 

•感性

 私はよくごく個人的な内面の話をしてしまう。自分の内面を曝け出すような話はあんまり受け入れられない(というか真面目に取り合われない)ことが多いし、人によってはそんなに面白いものでもないけど、この前会った友達はちゃんと面白がってくれて安心した。

 

•スマートウォッチ

 スマートウォッチを手に入れた。生活や健康を機械に管理されているみたいで(実際されている)怖い。ディストピアに近づいている気がする。以前、スマートウォッチを身につけている二人が全く同じ生活様式であることに気づく、という内容の物語を読んだことを思い出した。

 それはそれとして、文字盤に好きな写真を表示できるので、デスノートの『計画通り』のコマを表示させることにした。好きな画像を身につけられることはすごく嬉しい。

 

•ホーム画面

 私は自分に些細な縛りを課している。

 ホーム画面とロック画面は変えない、という縛りだ。

 特に理由はないが、高校一年の頃今のホーム画面ロック画面にしてから全く変えていない。友達の家のぬいぐるみが表示され続けている。

 もし私がホーム画面ロック画面を変えることがあるとするなら、変えるためのルールを自分に定めた時しかない。例えば「結婚したら変える」とか「就職できたら変える」とか。でも、まだ三年不変のホーム画面ロック画面を変えられるほど頑張っていないし、劇的な出来事も起こっていない。

 ホーム画面ロック画面を変えるというのは私の中で結構な重さがあるので、それを変えるには同じくらい重大なことを起こすか、起こるかしなければ変えられないのだが、こうしている間にもホーム画面ロック画面を変える重さはどんどん増してきている(時間が経てば経つほど変えてないという重みが増す)。今はまだ数年の重さだが、今に十余年の重さになるだろう。十余年の縛りを打ち破るような出来事は、私には思いつかない。

 いや、一つある。不謹慎だが、ホーム画面ロック画面の画像をくれた友達がいなくなったら変えるかもしれない。でも、そんなことはあってほしくないので、やっぱり一生変えないと思う。

 

オレオレ詐欺

 いつか祖母祖父や両親がオレオレ詐欺に遭うかもしれないと思って、オレオレ詐欺の音声を先に聞いておこうと思った。

 出だしがうますぎて、普通に感心した。人を騙すって結構技術が必要だと思うから、あの出だしの文面考えた人をちょっと尊敬してしまった。「もしもし?オレだけど」とかではなく、「あ、そっちに俺の荷物届いた?」から始めるの、違和感を持っても質問で始まってるから、うっかり普通に回答してしまいそうになる。

 

•急に後悔します、すいません

 挑戦は何歳からでも遅くないってよく言われるし、実際に何歳だとしても始めなければ何も始まらないと思うけど、にしても高校を卒業したあたりから何もかも今から頑張るには手遅れだと感じてしまう。あの時もっと全能的な振る舞いをしていればよかった。

2月(前半)

 二月は気分がいいので、二回書ける可能性にかけて前半と後半に分けてみた。後半は書かないかもしれない。

 

•親指の爪が割れた

 長く伸ばしていたから爪が割れた。かなり深めに割れた。爪が短くなったせいで、親指自体の長さがいつもの半分くらいなってしまったように感じる。親指の第一関節がないような感じ。

 

•メイク

 メイクが上手く行った時に限って人に会う予定がない。と思ったけど、人に会う予定が少なすぎるだけなのかもしれない。

 

•美容院

 徹夜で美容院に行った。前髪切られてる時、目が乾燥しすぎて過剰な瞬きをしてしまった。切った髪が目に入ったと思われ、顔をマジマジと見られたけど全然そんなことなかった。

 

•最近思い出したこと

 小学生の頃、三、四年生くらいまで学童に通っていた。学童には勉強する部屋と遊ぶ部屋があり、遊ぶ部屋では大抵ドッチボールが行われていた。みんなドッチボールばかりしていたので、ドッチボールが強い人は学童内で一目置かれていた。

 高学年になるほどドッチボールは強い傾向にあったが、中でも五年生のAくんは学童内最強と言っても過言ではないくらい強かった。私が一年生か二年生の頃、Aくんが五年生だったので、学年が離れていたこともあってか、私がAくんと接する機会はほとんどなかったが、それでも私はAくんのことを密かに尊敬していた。(ドッチボールが強かったから)

 高学年と低学年が接する機会はほとんどない。みんな基本的に同級生か、同じくらいの年齢の子としか遊ばないし、特に男の子はそういう傾向にあった。だから高学年の人と仲良くしている同級生はすごいなと思っていた。有名人と仲いいことをすごいと思うのと同じような感覚かもしれない。有力な人間と対等に付き合っていてすごいと思うような感覚。

 Aくんも例に漏れず、基本的には高学年の子供としか遊んでいなかった。低学年はドッチボールの相手にならないからかな、と当時は思っていた。

 しかし、いつの間にか、Aくんは私の同級生のMちゃんと仲良くなっていた。よく見かけた構図としては、MちゃんがAくんにワガママを言って、それをAくんが聞くという図。Mちゃんが「向こう行くよ」と言ってAくんを引っ張っていく場面をその頃よく見かけた。私はびっくりした。Mちゃんは私の同級生、つまりAくんにしてみれば圧倒的に年下で格下なわけで、そんなMちゃんの言うことをAくんが「はいはい」と聞いているのに衝撃を受けたのだった。

 しかも、Aくんはドッチボール最強の人間。つまり学童内で強い発言権を持つ。ドッチボールが強くて、みんなから一目置かれていて、立場としてはガキ大将的なポジションなのに、別に特段ドッチボールが強いわけでもないMちゃんのワガママを聞いていた。ちなみに、私はMちゃんと関わったことはその時点でほとんど無かったが、Mちゃんは誰よりも体が柔らかかったのでちょっと尊敬していた。

 AくんはMちゃんの言うことを無視したり、なんなら力ずくで跳ね除けたりすることも可能だったと思うが、AくんはMちゃんの言うことを、ワガママでも暴言でも割となんでも聞き入れていた。Aくんに優しいイメージは一切なかったし、どっちかといえば荒っぽい人だったような気がするが、何故かMちゃんに対しては強く出ない。仕方なさそうな感じでMちゃんに着いていっていた。

 私はあの二人の感じ、めっちゃいいな……と思ったように思う。今でもあの感じ良かったな、と思っている。

 

•相手の気持ちになって考えよう

 どういう経緯だったか忘れたけど、昔、知り合いと喧嘩して「相手の気持ちになって考えようって、幼稚園で習わなかった?」という旨の発言をした記憶がある。今思うと口喧嘩のテンプレートすぎて面白い。相手を過度に格下扱いしようとするその姿勢、怒りに任せすぎ。

 一旦それは置いておいて。私がそういう発言をした後、相手はどう返したかと言うと「相手の気持ちになるなんて、そもそも無理な話だから」と一蹴されたのだった。続けて「だって相手の立場になるって言っても、結局は自分の考えを押し付けてるだけじゃん。『相手の立場になって考える』ごときで相手の気持ちなんて分かるわけないよ」と完全に論破された。確かにその通りだと思った。相手の立場になって考えるというのは、相手の立場で自分が考えることだから。結局は自分の意見に他ならない。私は何も言い返せなかった。

 これより後の口論の記憶はない。言い返せなかったところからすると、口喧嘩には敗北したのだろう。敗北したから記憶を消したと思われる。

 話は変わるが、私は口喧嘩が弱い。反射で論理を組み立てられないからだ。論理に基づいた結論が出る前に、思ってたのと違うことを言ってしまう。怒りに任せて話しているうちに、論理がぐしゃぐしゃになって「思いついたこと全部言っちゃえ〜」という状態になる。だから「幼稚園で習わなかった?」という発言が飛び出すのだ。

 大声を出すのは得意なので、論理の破綻した大声悪口合戦ならまだ勝機があるが、流石に脈絡なく悪口を叫んだところで、互いの胸に嫌な感じのしこりが残るだけだ。あと私はプライドが高いのでそういう勝負はしたくない。しかも繊細なので、シンプルな的を射てない悪口にもしっかり傷つく。メンタルとプライドを削ってまで、五分五分の勝負に持ち込みたくない。

 そして、私はプライドが高く、繊細であるが故に、口喧嘩に負けた後一人で「ああ言っておけば勝てたな」という反省会をする。多分みんなしてると思う。けど、私はその二億倍している。寝る前に、急に過去の華麗に論破されたことを思い出して、今更腹が立ってしばらく相手を言いくるめる作戦を考えたりする。そしていちいち嫌だったことを思い出して、こんな文章を書いたりもする。私は執念深くもある。

 今、あの日の口喧嘩に戻れるとしたら、私がまず言うべきなのは、相手の立場に立って考えることを放棄してはいけないということだろう。どのみち、相手の気持ちなんて本当は分からない。だからといって相手の気持ちを考えることを放棄してはいけない。どうせ気持ちが分からないからって勝手に思いやりを捨てないでもらいたい。思いやれよ、もっと。もっとも、口喧嘩してる時点で相手を思いやる心は欠けていたと言わざるをえないが。

1月

•部屋が綺麗じゃない

 寒くなってから部屋が明らかに散らかってきた。布団から出たくないのと、暖房の効きが悪くて寒く、動きたくないせい。暖かくなるまでは何をどこに置いたか忘れたまま過ごすことになりそう。

 今日もホットケーキを焼いたのに蜂蜜をどのあたりに置いたか分からなくて焦った。化粧水の隣にあった。

 

•英語

 バイト先で中学レベルの英語が分からなかった。明らかに英語ができなくなっている。全然そんな実感はなかったのに。

 今も、私が気づいてないだけで何か能力が低下し続けてるんじゃないかと思う。怖い。

 

点字

 視力が低下の一途を辿っていて、いつか何も見えなくなるんじゃないかと不安。なので、最近点字を覚えようとしている。これで何も見えなくなっても、少なくとも地図くらいは読めるんじゃないだろうか。

 

•ネイル

 爪が青色にしたので、家事をしている時に毎回びっくりする。

クリスマスまでの出来事

•12月1日

 学校帰りに下校する子供たちがいた。「どろけいしながら帰ろ!」と横断歩道の向こう側に大声で呼びかけているのを見て羨ましくなった。

 

•12月2日

 図書館で借りた本を読んだ。最初から最後までずっと辛くて休憩しないと見てられなかった。読んだ後も何に思いを馳せればいいのか分からなくて、その物語をどう受け取っていいのか悩んでいた。あと牛乳の賞味期限が切れそうだった。

 

•12月3日

 賞味期限が切れそうな牛乳があったので、今日はシチューを作ろうと思った。スーパーで材料を買って家まで歩いていると、公園で子供たちが遊んでいた。その公園には大きなイチョウの木があって、その下でイチョウの葉を互いにかけあっていた。昔同じ遊びをして肩にシャクトリムシがついたことを思い出した。

 

•12月4日

 ホットケーキを焦がして絶望する。

 

•12月5日

 カラオケ番組に出演する夢を見た。私の歌は20点だった。父親は小馬鹿にしたように笑っていて、妹は慰めてくれた。

 

•12月6日

 ホットケーキを焼いた。本当は森永のふわふわパンケーキミックスを買おうと思っていたけど、結局コスパが一番いいやつを買ってしまった。

 

•12月7日

 やっぱりふわふわパンケーキミックスを諦めきれなかったため、ふわふわパンケーキミックスを買った。早速作ってみたが、本当にふわふわパンケーキだった。 

 

•12月8日

 二度寝して、起きたら忘れてるくらいの夢を見て、うどんを食べて、本を読んで、爪を切った。こんな日が人生であと何回しかないんだろうと考えると憂鬱になる。

 

•12月9日

 今年度初めてマフラーを巻いて外出した。でも、マフラーを巻いている人に一人も遭遇しなかった。マフラーっていつから巻き始めるんだろう。


•12月10日

 ココアを飲む時、飲み口についたココアを毎回ティッシュで拭ってるんだけど、これ多分効率悪いよなと思っている。頭が良かったらいちいちティッシュで飲み口のココアを拭わないでもっとスマートなやり方を思いつくのかな。

 

•12月11日

 テストの後、友達に学割の取り方を教えてもらった。前々から気づいてはいたが、私は一つのことに集中している時人の話を全く聞かなくなるみたいだ。プリンターに番号を入力している時、何か説明された気がした。しかし、もちろん私は聞いていない。無事に学割は取れたけど、あの時なんて言われたんだろう。

 

•12月12日

 今日の一番最後にある予定だった授業が休みになった。この授業、後期が始まってもう三ヶ月経つのに、まだ半分くらいしか開講されてない。自主的にサボっているとかではなく、開講されていない。半分は休講になっている。私が大学を舐めている理由の一端がこの授業です。

 

•12月13日

 「何かをしないと……!」という焦燥感に駆られる。でも何もできなかった。でもダメじゃないと言いたい。

 

•12月14日

 バイト先で一番優しかった先輩が今月でやめるらしく、送別会的な催しがあったらしい。私は行かなかった。先週バイト先のグループLINEで「送別会します。参加する人はメッセージにスタンプを押してね」と言われたが、ギリギリだるいが勝ってしまい、結局私が参加の意を表明することはなかった。でもあの先輩は本当に優しかった。おすすめした本も読んでくれた。やっぱり行った方が良かったかな……と思いながら家でご飯を食べた。

 

•12月15日

 NetflixHUNTER×HUNTERのアニメ第五シーズンを見た。めっちゃ面白かった。HUNTER×HUNTERって決まりきった勝ちがないところがかっこいいなと思った。

 

•12月16日

 ホットケーキを作った。確実にホットケーキを焼くのがうまくなっていっている。

 

•12月17日

 今日もホットケーキを作った。材料をちゃんと測らず、目分量で適当に入れているため、常に同じクオリティのものを作れない。昨日の方が上手くできた。

 

•12月18日

 お昼くらいに起きて、一番嫌な感じの授業だけ受けて、多くの嘘をついた。最悪の日。一人暮らしを始めてから誰かに責められることがなくなったからか、罪悪感をどうやって解消していいかわからない。その罪悪感から連鎖的に自分が何も成せてないことを実感して悲しくなるけど、とりあえずシチューを作って全部誤魔化した。

 

•12月19日

 授業でやってきた課題の発表があったんだけど、みんな思ったよりやる気なくてありえないくらいカスの発表をしてたのに先生は平然としてて「これでいいの!?!?私夜中まで頑張ったのに!」と思ってしまった。ほぼ一夜漬けの時点で私も似たようなものだけど、でも頑張ったのに!!!!

 

•12月20日

 DARSのホワイトチョコって生クリームみたいな味するんだね。おいしい。

 

•12月21日

 学食で方言について話すも盛り上がらない。

 

•12月22日

 一歩も外に出ずにDr.STONEを見た。めっちゃ面白かった。あとはホットケーキを作った。今日のはかなり上手い。このホットケーキの上で寝てもいいくらいふかふかだった。

 

•12月23日

 今日も自宅から一歩も出ずにホットケーキを作った。食べながらラブライブ!初代のファイナルライブ映像を見て泣いた。情緒大丈夫か。ただ一つ言いたいのはSnow halationは最高。「届けて切なさには名前をつけようかSnow halation」!?!?おいおい、この歌詞素晴らしすぎやしないか?切なさを雪に光が反射して眩しいことになぞらえるんですか!?切なさすらも眩しいって確かにそれが恋ですよね!?純情ですよね!!これ、作中では高校生が書いたってことになってるんだぜ!?高校生の感性で確かに恋ってそのくらい眩しいかもな!この歌詞の良さは永遠に噛み締められる。この歌詞を胸にしまっておくだけで世界は輝きます。

それでいうと同じく初代ラブライブのユニット、PrintempsのLove marginalという曲で「あの娘が話すあなたの癖を知ってる事がつらい」という歌詞があるんだけど、この歌詞もマジで傑作。叶わない恋あるあるというか、細やかなエピソードでその心情の深さを伝えるタイプの歌詞はしばしば見かけるけど、この歌詞はエピソードもさることながら、たった一文で三角関係が見えてきてその心情の複雑さが知れるんですよね。癖を知っているほどよく見てた相手のことを別の人が語ってて、でも「あの娘が話していた」ことが辛いんじゃないんだよな、「癖を知ってる」ことが辛いんだよな!恋心への後悔までこの一文で表現できるのはもう天才としかいいようがない。傑作すぎる。

 

•12月24日

 今日もホットケーキを作った。そこそこの出来。

 あと、今日は買い物に出かけた。帰り道に通りかかった公園で、子供とその母親が遊んでいた。子供は三輪車に乗っていて、母親の方はそれを追いかけるという遊びだろう。子供が漕ぐ三輪車の後を母親が走っていた。すると、何かの拍子に子供がポケットにしまっていた手袋を落とした。母親はそれを拾う。その隙に子供の三輪車は母親からかなり距離をあけ、母親が顔を上げた時には数メートルの距離があった。すると母親が「チッ、遅れをとった!」と言いながら再び追いかけていて、それがすごく面白かった。それ以外は何もない日だった。それが良かった。

 

•12月25日

 授業の予習を忘れてて教授に「予習してこなかった人は幸せな人ですね〜」って言われたけど、Dr.STONE徹夜で見て予習の存在を忘れてただけだった。幸せではあると思う。